ブランド事業とは


良いものさえ作れば誰かが見つけ出して、評価してくれる。
なんて時代は終わった。

自分はファッション界において、どんな立ち位置で、どう在り続けるか。

分かりやすい特別性、そしてそれをとりまく環境を育てる、つくることが必要不可欠なのである。

モードなブランド、原宿系、ストリートカジュアル、アメリカンカジュアル。

こういったものに区分される時点で、特別性は既に失われている。
〇〇系と、組み分けしたがる日本人は、そこに立ち位置を置くことで安心していられる。
なんて時代は終わった。

その〇〇系にはすでに重鎮がいて、その人達がいまの基盤を築いた事は確かだが、その人達のせいで今のファッション界がある。

服は、産業であり、文化になり得る事を意識せず、進化をやめた結果この有様である。

そもそも、服を当たり前にある存在と認識している時点で文化になり得るなどという考えにも至らないであろう。
裸で生きている動物と明らかに違う服を着るという事への違和感。
その考えこそが他の動物とは違う、
文化を持つ(成す)生き物、人間の能力だ。

洋服は、自分が格好良くいるためのツールと勘違いしてはいけない。
洋服の仕事、洋服のデザインをしているというステータスに溺れ、私利私欲に生きては産業や文化の発展に繋がるはずもない。

ブランド事業とは
共につくる仲間を守ること
販売する卸先と正当な関係をつくること
販売スタッフを育てること
ファンに上記全てから成る信用を売ること
関わる人すべてを幸せにすること

綺麗事ではなく、この考え方こそが真に新しい産業や文化を生み出すことになる。

目先の利益にとらわれ、海外生産にシフトチェンジした結果多くの縫製工場が潰れました。
海外から安い生地を多く仕入れ、多くの生地屋が潰れました。

取扱先の店からの仕入れ値叩きにより、小さなブランドの生産は回らなくなり潰れました。
また、納品時期の調整により(これはまた詳しく話します)建て替えが増え、その為消極的なものづくりをせざるを得なくなりました。

次から次へと消えては生まれる新しい服(ブランド)に人の命が宿っている事を教えられていない販売員は、その先にいる消費者へ物体としての服を提供する結果になります。

この悪循環によりいつしか服産業は
「物流」になりました。

現在の消費者のほとんどか手に入れた瞬間の幸福がピークであり、飽きたら売る、壊れたら捨てる。
もうやめましょう。

工場は既存の技術に安心しないで、進化を求める環境を。
ブランドは工場と共により良いものづくりの可能性を生み出し、表面的な変遷だけでなく内面的なオリジナリティも作り上げること。
お店は、入荷した商品への徹底的な理解をすること。

そうすれば、1着に関わる全てのセクションに無形固定資産が生まれ、それがブランドの特別性となり、消費者の中で生き続ける。
 

これは、壮大な夢でもなんでもなくて
こうならなければ、ブランド事業をやる意味がない。