社会


社会に出る
社会人として
社会ってこういうもんだから…

少なからず働き始めると発せられるこの言葉。
そういう人は野心も夢も無いんだなと感じる。

これがしたい
こういう自分でありたい
こんな夢がある

…でも今の時代や社会では無理。理想と現実は違う。大人にならなきゃ。大人に…ならなきゃ。諦めよう。仕方ない。時代が違うし。

それは違うでしょ。
夢が叶う社会にする事も引っくるめて自分の夢でしょう。
社会や現実と闘わずして諦める夢なら夢と呼べない。空想、妄想、上辺の思想。

結局そういう人間は諦めるという事を大人になるとすり替えて、自分に納得させてるだけでしょう。

自分の性格と社会が合ってないなら、自分の性格に合う社会をつくるべきだし、自分を社会に合わせる必要なんてない。
社会と言うとまた大袈裟に捉える人もいるけど、優しく言えばコミュニティ。とかね。


図で描きたいくらいだけど笑
社会という巨大なグループがあって、その外でプカプカしてる若者たちが1人ずつ摘まれて、飲み込まれていってる。
その巨大なグループに入ればホッとするんだけど、みんなまぶた重そうで。空っぽ。マシーン化してる。疑問や葛藤は無く、渦巻く流れに立ち止まる事も、まして逆流することも出来ない。


その巨大なグループが世界を動かしてるのは間違いない事実だけどそこに納得のいかない人がウヨウヨしてるわけ。
今の社会だとまずいとか、グループに入るとアレルギー出ちゃうとか。

そういう人間は自分が起点になって人をどんどん集めるの。共感できる仲間や、プカプカしてる若者だったり、あるいは巨大なグループから引っこ抜いたりして。

そして、自分の社会をつくる。

死ぬまでに巨大になれない可能性はあるけど、巨大なグループには無い魅力をもった社会になるし、そんな自分に集まる人はきっと面白い人だからまた別の社会を生み出すかもしれない。

そうして別の小さな社会がたくさん出来て
巨大なグループは空中分解していき、、、
という夢をみている。

特別な成功を成し遂げたいなら、そうするべき。自分も含めて。




ミラーボール

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スタイリングしました。

原宿にいる人なら誰もが知ってる(言い過ぎ?)
かなり元気なキャラクターの彼女。

でも奥底にある女性っぽさみたいなところを引き出したいなと。

普段の彼女には反する荘厳な1890年代のヴィクトリアンジャケット。
時代錯誤なキャミソール。
アルマーニのベロアスカート。
ランバンのゴールドのラメシューズ。
メイクも少しやり過ぎなくらい色っぽく(ケバく)。

撮られ慣れてるから、特に心配することなく自由にやってもらいました。

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身体の表面に来る服で
こころの内側を引き出したい


そばかす

スタイリングしました。

1989年秋冬のコムデギャルソンオムのレザーブルゾンは、タフで悪く言えばおじさん臭いです。

でもそれは21歳の女性の身体を通して
言いたいことが上手く言えない年ごろの、言葉にならない想いを代弁してます。

夢や現実、学業、恋愛。
可能性がある分の苦しみ。
歳を取れば選択肢は減り、ある意味シンプルになります。

若者には選べる苦しみがあるんです。

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彼女と服が見せた、リアルな瞬間でした。

日本の女

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基本的に男服しかやるつもりがないわけですが、縁あって女性の衣裳スタイリングをさせてもらいました。

服をつくる感覚で取り組むという事を意識して、どう組み合わせるかというよりも、1つの服として成立させようと臨んだわけです。

とにかく表現したかったのは
日本の女の色気と気合い。

いわゆるkawaiiとまとめられる女の服にうんざりしていて、それ故に女の服はやりたくありませんでした。
だからこそ、この機会に日本の女のパワーを魅せてやりたいなと。

日本人は西洋の美学が正解というのが自然と根付き、それに違和感を持ちながらも決して手を挙ることはありません。

それはコンプレックスでもあり、目指す場所が常に西洋である為、結果的にそれ以上にはなれないのです。
背伸びしても、ジャンプしたって越えられない壁なんです。

それがどうした。
と言ってやりたい。

壁は目の前に立ちはだかるものかもしれませんが、壁に背を向けて自身の故郷に立ち返ってみて欲しい。そこに、自分の新しい道を築いて欲しい。


キーとなる、日本の強烈な紅色のシャツを忍ばせ、ボディコンシャス皆無の3タックのギャバジンパンツを穿く。
そこに本来ショールに使う別珍を帯として巻きつけ、その上からはナローベルトを走らせる。
インナーのアロハシャツは襟を内側に折り込んだ着こなし。皮肉と愛嬌を込めて。

そこへ、まるで西洋のオーバーコートのように美しい着物をガバッと羽織れば
安心して良いよ、君は日本の女なんだから。
と全てを肯定してくれる。

西洋的にも、和服的にも邪道。
でも凝り固まった西洋や和服の美意識もこれくらいやらないとぶっ壊せないでしょ。

2016年の新しい衣服のあり方があっていいはずだ。


レディースやろうかな。笑。


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どんぶらこ


どんぶらこっこ

どんぶらこ
 
浮世人生早や七十

酸いも甘いも多々知りて

クロの服を作りしは

幕末の武士たるその風貌

ドスの効いたその陰に

秘めし色気と可愛さと

どんぶらこっこ

どんぶらこ



嗚呼

今日も波が来ない



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いい爺


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街に普通にいるけど、どこか普通じゃない老人を
いい爺
と名付け、#いい爺 のハッシュタグInstagramに写真を撮り溜めています。

単に#いい爺とは、良い雰囲気のお爺さんの略称であると同時に、なんの気負いもない彼らのセンス。その雰囲気がeasyであるという意味も込めています。

なぜそれが良いと思うのか、それを掘り下げると、服づくりに対するヒントが隠されているような気がしました。


彼らを見ていると、人は死に近づくにつれ、性から離れていくと感じます。
男性とか女性とかの境目が薄くなり、すごくニュートラルな存在になります。
よくいるじゃないですか、おじいちゃんかおばあちゃんか分からない人。

その性のイメージをハッキリとさせない雰囲気や、顔や身体に現れる生き様。
それと服が相まって#いい爺となる。

痩せた身体には大きすぎるジャンパー。
サラリーマン時代を抜け出せない中途半端なスーツスタイル。
ポテっとしたシニアしか履いてない謎のメーカーの運動靴。

着飾りたいけど、持ち合わせのないという侘び。もう老人だから、引退したからいいだろうという諦めからくる寂び。
まさにいい爺は、侘び寂びを体現しているとも言えるのです。


時にはお洒落に余念のない、歳非相応な老人にも出会いますが、はっきり言って魅力は感じません。
造ったような、計算された着飾り方ではダメなんです。
狙わずとも、偶然起きてしまったハプニング的なユーモアや、止むを得ずそうなってしまったような哀愁が生み出す空気は、意図したものには無い魅力があります。

また別の視点から考えると、古着の魅力に共通しているとも言えます。
多分、古着の良さが分からない人は、いい爺の良さも分からないんじゃないかな。

時間でしか得られない服の空気や、偶然の傷、直した跡。
いくら加工で作り込んだ現代の洋服も、時を超えてきた古着のなんてことない愛嬌、可笑しさには敵いません。
それは時間がデザインしたとも言えます。


先ほど、意図したものには生み出せないといいました。
だけどそれを意図的につくり出したい。
新しい服なのに、新鮮な面構えなのに、どこか懐かしくて、それはまるで生まれ故郷のあの景色の一部かの様な服。

若者が着ても老人の様な穏やかさの中にある貫録を表現したいし、余裕と諦めを含ませたい。まして、男らしく、女らしくなどは言語道断。


性を感じさせない奥深い魅力が必要なんです。

それはいい爺たちが教えてくれました。



初めに


自己紹介を。

私は平成4年11月3日文化の日に名古屋で生まれました。
画家である祖母の影響で、小さい頃に絵画や古いもの、古き人(味のある人)に触れてきました。
それから洋服や、革細工に興味を持ち、中学生の頃には地元のリサイクルショップ、古着屋を漁るようになっていました。

高校生の時はどっぷり洋服。洋服買う為に部活しながらバイトしていました。卒業後、上京しました。
頑固に、絶対東京じゃないとダメだと思い込んで、疑わず上京しました。


文化服装学院という洋裁学校に入学し、3年間洋裁の基礎を学び、服をつくりました。
文化服装学院についても言いたい事がありますが、それはまたいつか。ただ、沢山の感謝があります。少なからずいまの自分があるのは文化服装学院があったから。
文化服装学院万歳。最高。

そんな学生時代の3年次に始めたヴィンテージショップでのインターン、アルバイト。
そこは所謂メゾンヴィンテージから、マルタンヘルムートラングラフシモンズなどの近年のデザイナーまで扱うお店でした。

上京する前から大量のイーストウエストを持ってることから存在は知っていて、いざ行ってみると、素晴らしいお店でした。
マルタンの服に初めて袖を通した場所がそこです。裏返しのM-47パンツ。仮縫いのまま完成となった服。
服であんなに心が震えた体験は覚えている限りあれ以降ありません。


そして、アルバイト時代は簡単なお直しやリメイクから始まり、自社ブランドの企画、生産などにも関わるようになり、卒業と同時に社員となりました。
そうして、いま社員になって2年。
アルバイトからすると約3年となります。

やらせてもらう部分が多いから、色んな事が見えます。有難いことに物を作る上での全ての段取りや、納品、集金までに携わってるのはすでに自分の財産だと感じています。

ただ、もうやるしかないかなって思うんです。その時の為に。自分の名前が服に付いた時の為に。


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書きますね。